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「えんとつ町のプペル」に携わった方々について調べてみた

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最初に何があったのか

キンコン西野氏の「金の奴隷解放宣言」の孕む問題点 - Togetterまとめ

 炎上があった。

 本件に関する感想を差し挟むのはやめておく。本稿の主題はそこにはない。

 この本に関しては、「西野亮廣」氏が作者ということになっているが、実際には多くの作家が携わっている。そうした現実を今日になるまで知らなかった。私はアンテナが低いのである。

 そして、アンテナが低い人は意外にも世間に存在するのではないか。営業や編集は出版社がやるとして、絵本のほとんどは西野氏が独力で作り上げたのではないか。

 そう信じている人がいるのではないかと考える。

 

 こういうツイートを見た。一理あると感じた。

 よって、本稿を作成するものである。それ以上の言葉はいらないだろう。

 以下、クレジットに沿って解説を重ねていく。

 といっても、大半が本名で記載されているため、ほとんど情報収集できなかった。調べて同定できた方のみ、書き連ねていくものとする。

「えい、この役立たず、無駄飯食らい、石川啄木」

 などといった言葉や情報の提供については私のツイッターにお願いしたい。ただし、心が弱い身としては拙劣な文章で対抗することもできないので、謹んで右から左へ受け流すことがある。

 

絵・文・監督

西野亮廣

 説明は要らないだろう。西野氏である。私がさっきからしつこく氏氏とつけているのは、慇懃無礼を貫きたいからである。いつもは騎手や競輪選手やボートレーサーを呼び捨てにしてるのにね。

 さて、先に出した中野さん(無礼でない程度の敬称)のツイートにもある通り、西野氏は作画担当の方々をスタッフと呼んでいる。そこには一抹の気持ち悪さがあったのだが、この項目や西野氏を賞賛する記事を読み、ようやく理解できた。

 これは映画なのだ。一本の協働して作られた作品なのだ。

 西野氏は監督である。ファンとアンチの比率が逆転した宮﨑駿である。私は彼を好きでもなければ嫌いでもない。ただ、本件に便乗しているだけというわけでもない。自己顕示欲が非常に強い私としては――それこそブログなんぞやっているくらいだから――自分の名前が売れない仕事なんてゾッとする。世間ではそれがまかり通っているから尚更だ。

 まあ、西野氏が言う通り、宮﨑駿の名前は知っていても、そこに心血を注いだスタッフの名前までは知らないことも多い。彼は正しい部分もあるのだ。全部が正しいとも間違っているとも言わない。そういうもんだろう。

 彼について語るのは本稿の所期目的に反しているように思われるので、ここまでにしておく。

 

メインイラストレーター

六七質

ホームページ http://www.geocities.jp/syk_3276771/index.html

ブログ http://www.geocities.jp/syk_3276771/index.html

Pixiv http://www.pixiv.net/member.php?id=57629

Twitter https://twitter.com/munashichi

 メインイラストレーターである。「『えんとつ町のプペル』って西野のヤローの作品じゃないやんけ! この人の作品やんか!」という気運が2016年の中頃に席巻していたようだが、その時に「かわいそう」という立場に立っていた方のようだ。

 素敵なイラストだと思う。私は口癖のように素敵素敵とつぶやくが、感情が動けばそう言うようにしている。

 最近は主にブログで活動報告をされているようだ。良い絵がたくさん掲示されている。私もいつか書籍化して、こういう方にイラストを描いていただきたい。どうですか、奥さん。良い文章と物語を書きますぜ。

 2017年の年始のあいさつがこちら。いったいどれだけの艱難辛苦を重ねれば、これほどまでに緻密で微細で流麗なものを描けるようになることか……。何より豊かなのは色彩だろう。圧倒的な背景がありつつも、人物と鳥が目に飛び込んでくるようになっている。

 ツイッターのプロフィールによれば、「町並み、工場、廃屋、巨大建築物などをモチーフにするのが好き」とのこと。いいね……!

 

アートディレクター(MUGENUP)

島田彬

金田旭永

岡本裕和

石井貴紀

家治川真弘

秋吉美保

新井佳澄

絵本『えんとつ町のプペル』制作秘話公開!〈前篇〉西野亮廣とクリエイターが語る異例づくしの絵本の裏側とは? | いちあっぷ講座

 こちらの記事によれば、「アートディレクター(背景を中心とした全体ディレクション」とのことだ。本項目のすべての方に当てはまる内容と言えよう。

 絵本の全ページに圧倒的な背景があるのだから、そのディレクションもなるほど大変だったろうと思う。上記の記事でもその一部を閲覧できる。

 

イラストレーター(MUGENUP)

別府満仲

寺迫良亮

羽賀あゆみ

青木真由美

岡本敏郎

澤野雄介

山本麻美

堀口晃世

青木大地

劉寧飛

上野聡子

中野紗央里

井上崇幸

坪田綾子

瀬尾友華里

景山知枝

芦野優紀

古舘幸一

きゅう

 いずれも確かな情報にアクセスすることはできなかった。本来はハンドルネームを使って活動されている可能性もあるが……。

きゅう | CREATORS BANK〈クリエイターズバンク〉

 きゅう氏については、同名の方でこういうページを見つけた。これもまた美麗なイラストである。同じ方が本プロジェクトに参加していても頷ける。

MUGENUP STATION

 ちなみに、MUGENUPとはイラストレーターとクライアントを繋ぐお仕事紹介サービスだ。クラウドゲートやスキロッツなどが同様のサービスに当たるだろうか。

 ただ、今回の場合はMUGENUPが抱えているイラストレーターということになりそうだ。たぶんだが。

 

3Dモデリング(MUGENUP)

木下洋輔

 こちらも「本人かなぁ?」という記事がヒットしたものの、確たる成果を得られなかった。

 すっぱいぶどうは常に届かない距離にあって、しかし触れることができない。結局は捨て台詞とともに去るしかないのだ。もどかしい限りである。

 

イラストレーター

瀬尾辰也

スタジオ Suuuu

嘉志高久

「瀬尾辰也さんってあの人だよな……でも間違ってたらこれ大デマだぞ……」

 これが批判が怖くて賞賛も得られない者の思考である。そもそも同名で同人誌も登録されているのだから、九割九分は間違いがないはずなのだ。

 しかし、なまじ名前が合っているのに活動報告等がないので、掲出することができない。

 ジョージアというからアメリカの州の話をしていると思いこんで、実は旧グルジアのニュースだったりしたら後味が悪いではないか。ましてや一個人の毀誉褒貶に関わることである。慎重になりたい。

 いや、本音を言えば、間違って怒られたくない。怒られたくないということは、謝りたくない。私に炎上商法は向いていないのだ。

 気になった方は検索してすぐに出てくるので、各々の真実を掴み取ってほしい。

 

イラスト検索「イラストレーターズ通信」 : プロフィール : 嘉志高久

 嘉志高久さんもヒットした。この人かなあ、そうじゃないかなあ。

 風景画や背景画のまぁすごいこと!

 深夜の通販でパスタを電子レンジで作れるケースに驚く人のようなリアクションをしてしまう。

 今回のプロジェクトに参加していても、何ら不思議はなかろう。

 

制作進行(MUGENUP)

所澤友大

株式会社 MUGENUP | PR | IT/Web業界の求人・採用情報に強い転職サイトGreen(グリーン)

 MUGENUP所属のWebディレクターのようだ。

 上記サイトは「ちくしょう。転職だ!」の広告バナーで有名な、転職サイトのGreenの企業紹介ページだ。さすがITに自信ニキであるところのGreen。こういうところに手を伸ばしてくれるぜ。

 創業メンバーである取締役COOと取締役CTOと並んでいるからには、これはかなりの重要な立場にあるのだろうと感じる。

 はい、「制作進行なんだから要職に決まってんだろオタンチン・パレオロガス」というツッコミは大変正当なものであります。

 

制作統括(MUGENUP)

ベラン アントワーヌ

株式会社MUGENUPのメンバー - Wantedly

 ベンチャーに強いソーシャルリクルーティングツールであるWantedly。ここにもMUGENUPのページがあった。

 ここに「その他」で名前を連ねているが、こちらも制作統括ということは結構な立場ということになるのだろう。

 しかし、この写真、「ふらんす貴族」?

 ほう、フランス人かい! あたいは面倒なナポレオン戦争マニアだからね。「逃げずに戦え! 俺が誰かわからないか! フランス元帥の死に方を見せてやる!」と叫んじまうよ。

 これはフランス帝国期のミシェル・ネイ元帥の言葉とされているが、Wikipediaではまるまる[要出典]の項目に指定されている。勇者として神格化されている彼のことであるから、きっと「この人ならこう言ったに違いない」と思われているのだろう。何でもかんでも「――ゲーテ」をつければ箔がつくのと一緒である。 ――ゲーテ

 

タイトルロゴデザイン

ハヤシコウ

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1611024009162671&id=1531246147140458

 こんなフェイスブックのページに行き当たった。

 個人事務所の代表ということかしらんとも思ったが、それにしてはちゃんと役職まで書いてあるあたり、もっと規模が大きそうな匂いを感じる。

ハヤシコウさんのカレンダー : フィオッキ・ブログ Fiocchi blog

 これも同氏のデザインということで良いのだろうか?

 ちなみにトスカーナ州といえば、「カノッサの屈辱」において重要な役割を果たしたトスカーナ女伯のころから連綿と続く伝統ある地である。どうでもいいか。どうでもいいね。どうでもよくない人は下のwikipedia記事をお読みいただきたい。

マティルデ・ディ・カノッサ - Wikipedia

 

ブックデザイン

名久井直子

ブログ http://softmap.jugem.jp/

Twitter https://twitter.com/shiromame

 この方は間違いなかろう!

キングコング 西野 公式ブログ - 『えんとつ町のプペル』ができるまで。 - Powered by LINE

 西野氏のブログにこういう記事があった。

「『情熱大陸』で印刷所のオジサンにブチギレ倒していた『メス鬼』こと、装丁家の名久井直子様と相談し」

 えっ、情熱大陸に出たの?

名久井直子(ブックデザイナー): 情熱大陸

 ホントだ! 出てる! すげえ!

 年間100冊近くを手がける……。どうやらかなりの有名人であるようだ。なるほど、私も小説やエッセイといったもので作者名を気にしても、奥付にあるであろう装丁・ブックデザインの項目まで気にしていたことはなかった。

 しかし、「作家が産みの親なら、私は育ての親」とまで言えるのは、この仕事にまさしく熱情の律動を乗せているからに他ならないだろう。

クリエイターズファイル|名久井直子|GA info.

 インタビュー記事もあった。ほわぁ、と声が出てしまう。プロである。激烈でありながら、清冽でもある。

 ぐうたらで怠慢な我が身に、風車鞭をくれているかのようだ。

 

翻訳

村田悟

 情報に上手くアクセスできなかった。

 翻訳か……。これは確かにチーム制ならではなのだと感じる。

【以下2017/01/23 8:17追記 この方かもしれないという情報提供あり】

Satoru MURATA

 Twitterで情報をご提供いただいた。マヤ考古学と写真家をしておられる同名の方がおられるという。翻訳専業の方ではなさそうだが、そういう可能性もあるということで、こちらに記載させていただいた。

 しかし、世界は広い。そして、そうした広い世界の知恵が凝集して、1冊の本が生まれているのだ。誰か1人の手柄などではないのだと感じる。

【追記終了】

【2017/01/23 21:02追記】

 出身校の後輩というツテで話を聞いたとのこと。おそらくこの方で正しかろう。翻訳という仕事は、数多の分野に通暁していなければならないのだと感じる。

 【追記終了】

 

編集

舘野晴彦(幻冬舎)

袖山満一子(幻冬舎)

 ここからは幻冬舎のゾーンに入る。

 

出版管理・校正

田中淳史(幻冬舎)

池田明子(幻冬舎)

 幻冬舎の方々だろうから、触れられることは少ない。

 そうだ。私がパッと幻冬舎の本と尋ねられて答えるとしたら……。

工学部・水柿助教授の逡巡 The Hesitation of Dr.Mizukaki

 この本である。森先生の私小説じゃないかというフィクションで、でもやっぱりノンフィクション的な要素もあるぞという小説である。

 1時間に6000字書くとんでもない方だ。これくらいやってしまっただろう。私も1時間にそれだけの量を熱とともに書き切りたい。集中力も筆力も未熟であるゆえに、4000字が限界である。

 話が逸れた。

 編集にせよ出版管理にせよ校正にせよ、いずれもプロフェッショナルの仕事が加わっていることに間違いない。そして、ここに名前の入っていない方々、営業や、広告宣伝や、またクラウドファンディングで出資した方々などといった、多くの人の願いが詰まった一冊なのだろう。

 今回の無料化は性急な気もする。

 しかし、「拙速は巧遅に勝る」とも言う。

 どちらの目が出るかはわからないが、少なくとも西野氏の文章には人を怒らせるものが常に潜んでいる。それも大勢の人をだ。感動させる文章が書けるというのは才能である。私は人を怒らせる才能なんてものは全く欲しくないが、それでも感動を巻き起こすパワーというものは確かに働いているのだ。

 

 でも、なんでウェブ版ではスタッフクレジットを外しちゃったんだ?

 

スタッフクレジットを無料ウェブ版で外した理由の考察

【追記 2017/01/23 20:57】

 クレジットがなぜ無料のウェブ版で外されたのか。

 この件について、Twitterで仮説の提示を受けた。

 ウェブ版でクレジットを除いたのは「映画のスタッフロール、音楽CDのクレジットと同じく、購入した方に向けているから」ではないかと。

 最初は「ふむん?」と思った。あれから狩野氏の問題などであっという間に事件が鎮火すると思ったら、わざわざ西野氏本人が燃料を投下してじりじり燃えているくらいだから、そんな気の利いたことをするだろうか、と考えたのである。

 しかし、改めて西野氏のブログの記事と合わせて読んでみると、腑に落ちる部分も出てきた。どうせここから先は私の自分語りなので、もう少し実りのある考察もしてみようか。

 

絵本『えんとつ町のプペル』は出版社側にかなり無理を言って、最後に2ページを増やして、スタッフクレジットを入れています。

制作に携わった全スタッフの名前を入れています。
皆で作った本だし、この作品が一冊でも多く届くことで、一緒に汗を流したスタッフの皆様に次の仕事がいくといいなぁという判断から。

これに対して、
「だったら表紙にスタッフの名前を載せろ!」だとか、
「ネットに無料公開した時にも載せろ!」
といった声も届くのですが、僕は売れることを考えています。このスタッフの皆さんの名前が、一人でも多くの人に見つかることを考えています。
その時、スタッフの名前だらけの表紙の絵本は売れませんし、スタッフの名前だらけのネット記事はバズりません。
お客さんからすると、まずそこは知ったこっちゃない部分なので。
大切なのは、このページを一人でも多くの人に見られることだと僕は考えます。

出典:キングコング 西野 公式ブログ - 『えんとつ町のプペル』を無料公開したらAmazonランキングが1位になった。 - Powered by LINE

 数学のチャート式と同じくらいのレベルでもう触れることはないと思っていた、西野氏の記事である。

 私は基本的に短絡思考なので、「『この作品が一冊でも多く届くことで、一緒に汗を流したスタッフの皆様に次の仕事がいくといいなぁ』と思うんなら、一番届くであろうネット版にも載せんかい。そんなことだからアメトーークの『スゴイんだぞ!西野さん』で大吉先生から『声のボリュームとエピソードの内容が釣り合ってない』言われるんじゃボケェ」と人格攻撃に近い何かをむき出しにしてしまうのだが……。

 

 そうだ。

 そうなのだ。

 西野監督――品川ヒロシ監督と合わせて平成芸人監督の双璧になりそうだ――は、本質的にボリュームと内容が釣り合っていないのではないか?

 つまり、「えんとつ町のプペル」という自分が差配して作った作品に思い入れがありすぎて、まずこれを売らんかなという感情が先立ちすぎているのではないか?

 クラウドファンディングで人々の思いを集めたこともあるだろう。

 構想から絵コンテから文章からすべて自分で練り上げたという自負もあるあろう。

 

 そもそも、メインイラストレーターの六七質さんとの関係から、「キングコング西野がゴーストライターを使ってる!」と騒がれたのは、えんとつ町のプペルが発刊される前の話である。

 私のような短気な豆腐メンタルだったら、「そうまで言われるんなら分業制なんてやめたるわ! ワイの力を見さらせや!」と爆発しつつ陰にこそこそ隠れていただろう。

 それがどうだ。西野監督ときたら23万部も売り上げて、さらに無料化という切り札を切って話題の創出にも成功したのだ。

 

 もはやマーケターとしての彼は成功したと言えるのかもしれない。「おのれ同人ゴロならぬ商業ゴロ!」と息巻いても、西野亮廣という人物は成し遂げてしまったのだ。この期に及んでは「実はこれ俺一人の手柄なんスよ」とテレビで言いふらさない限りは、そうそう評価も覆るまい。

 スタッフに対して何らかの債権が弁済されていないというならともかく、そういう問題が噴出している話は聞かない。幻冬舎との関係も良好だろう。

 チームで全力で取り組んだ新刊を1冊でも多く売るという姿勢は、彼の中で一貫しているのかもしれない。問題は彼のボリューム装置が壊れていて、変なところで音量がMAXになってしまうのだ。「金の奴隷解放宣言」なんてその最たるところである。ここはどこのゲティスバーグかと思っていたら、ゲル・ドルバ照準でコロニーレーザーをぶちかましているんだから、そりゃあ怒る人も出てくる。

 

2017年。
僕らはもっと人を信用していい。
自分から与えていっていい。
見返りがない場合もあるかもしれないけれど、それも問題ない。
なぜならインターネットによって分母が増えたから。
無視する人がどれだけいても『ゼロ』で、計上されるのは「ありがとう。お礼に、コレを…」と言ってくれる人の数だ。

出典:キングコング 西野 公式ブログ - 『えんとつ町のプペル』を無料公開したらAmazonランキングが1位になった。 - Powered by LINE

 再度上と同じ記事から引用するが、たぶんこれが偽らざる本心なのではないかと考える。「ギブ&ギブ」という言葉を他の記事で使っていた通り、この物質文明で疲れた世の中に、優しさによる相互扶助があっても良いのではないかと。

 だが、悲しいかな。なんとなく半世紀ほど前に流行したヒッピーの流れを感じる。理想はすばらしいが、文章にしてみると怪しい情報商材のセールステキストに見えないこともない。

 加えるに、ある野球の名選手が言った「誠意は言葉でなく金額」という名言もまた真理なのである。この選手は東日本大震災でちゃんと多額の寄付をしているからまたかっこいい。金を忌避した先にはなかったであろうその行動を考えると、やはり「金の奴隷」という言葉が変な刺激を与えてしまった事実に行き着く。

 

 無料というギブに答えて、感謝した者たちがお金を出して応える。

 彼らはスタッフクレジットというスペシャルトラックまで堪能して、「ああ、こんなにも多くの人たちが作ったんだなあ」という思いを共有する。

 なんとなくCD時代の隠しトラックのような感じだ。買った人だけがわかる特別感の共有。そうしたものを感じる。

 

 でもなあ。

 やっぱりこのボリュームのツマミ壊れてるんじゃないかな……。

 そんなに顔真っ赤にして反論記事を更新したりせず、もっと悠然としてればいいのである。貴方は望みどおりに絵本を多くの人に届けたのだ。それで良いではないか。何も自分から拡声器を持って舌禍を広げなくても、きっとファンが擁護してくれる。これだけのきらびやかな経歴だ。必ず味方になってくれる人は現れるだろう。

 え、私?

 いや、私は郭隗ではないので、擁護はしない。すごすごと引き下がる。

【追記終了】

 

最後にたくさんの自分語り

 文章というものは人によって受け取り方が違う。

 なるほど、発信者にはそれぞれの想いがあって、意図しない受け取られ方をすることもあるだろう。

 だからこそ、ファンは炎上してしまった人を擁護するのだし、時には反対者と強くぶつかりあうこともある。

 今回の件にしても、西野氏にそういう意図はなかったかもしれない。単にもっと多くの人に喜んで欲しいから、無料化に舵を切ったのかもしれない。

 さらに「金の奴隷解放宣言」などという、私のようなひねくれた歴史クラスタからすれば「金持ちはいいなぁ! 女真族かよテメーは!」と錯乱するような記事を作ったのも、本当に多くの人が「物質的に豊かでありながら精神的に貧窮している」ことに心を痛めたゆえかもしれない。

 

 私としては、「それでも気に入らんモンは気に入らんのじゃボケ。何がマグレ当たりじゃ。他人の力をフル活用しといて何ほざいとんじゃ。どうせ芸能人としての俺の力がなきゃこんなもん売れんかったとか言いたいんやろ」という意見にも賛同できるし、「既存の仕組みをぶち壊すところから始めるすばらしい行為だ。時代を拓く新しい意見は常に強い逆風に晒されてきた。決して怯まずに突き進んで欲しい」という意見にも賛同できる。

 ポジショントーク?

 そうかもしれない。だが、双方の意見にのみ100%寄りかかるというのは危険であるだろう。両極端しかなくなってしまえば、行き着く先は過激な結末しかない。100%を超えて嬉しいのは馬券の回収率だけだ。あ、車券と舟券もね。

 

 西野亮廣という人は、本質的な意味で破壊者なのだ。常識を壊してくる。壊さんでいいものも壊そうとする。瀕死の士魂号で突っ込む壬生屋のようなものだ。それをどう捉えるかは各人次第だ。

 アマの文章書きとしては、今回は「金の奴隷解放宣言」というのが悪さをしていると感じる。「俺ら私ら金の奴隷なんかい。おう。金受け取ったクリエイターは金の亡者なんかい。おうおう。ひな壇拒否しても生きていけるマルチ才能様は出来が違いますのー」と嫌味の一つも言いたくなるだろう。

 

 日頃、どれだけ多くの人が本音を隠して生きていかねばならないか。

 日頃、どれだけ多くの人が自分の一言で波立つことに恐れているか。

 西野氏はどこか壊れている。私だったらこんな煽り方はしない。たぶん本人は煽っているとも感じておられない。あるいは私が壊れているのかもしれないが、「けったくそ悪い」と感じた自分の心情にウソはつけない。

 

 他方で、そう感じた一因として、「もう一日、一月、一年の半分を金の心配をして生きていくのは嫌だ」というのもあるだろう。

 隙あらば自分語りさせていただくが、私は難病者である。根治不可能な全身の疼痛に毎日苦しめられている。ようやく厚労省の指定難病になったが、既存の障害年金の受給基準からは外れているため、金銭面での優遇は受けられていない。そうやって無理して働いて、とうとう精神を病んでしまった。おかげさまで外に出るのにも怯える体になってしまった。いつだって金欠の恐怖はついて回る。キャッシングの限度額が近づくにつれ、自分の寿命が縮まっている思いがする。

 もう嫌だ。それは確かだ。

 だから、金持ちがうらやましくて、金持ちが憎い。「あの耳障りな声をするユーチューバーめ、どこからそんな金を持ってきてやがる」と思ったことも一度や二度ではない。

 でも、自分が金持ちになったら、突然大らかになるだろう。なぜなら満たされているからである。貨幣経済において、所有は人格を規定する。その所有の量や種類が増えるほど、人格の幅もまた増えていく。そういうものなのだ。

 

 ああ、月に20万もらえたら、本当に素敵な小説を、本当に心震える文章を、心置きなく書き継ぐことができるのになあ!

 

 すっぱいぶどうなのだ。諭吉が木の上で笑っている。私はそれに届かない。だから、持っている人を蔑みたくなる。持たざる人の苦しみもわからないくせにと毒づきたくなる。

 それでは、どうすれば抜け出せる?

 その答えは明白だ。金があればいい。「貧乏な私」から抜け出せればいい。しかし、それがどうにも困難なので、こういうことになっているのだ。

 ああ、まったく、長々と自分語りをしてきたが、最後は名台詞を引用させていただいて、西野氏へのメッセージとしようと思う。

 ここまでお読みいただいた方、ありがとうございます。さあ、ご自分の生活にお戻りください。

 そして、西野さん。もし2000円も出せない子どもに心を寄せるのでしたら……。

 

「同情するなら金をくれ!」