大統領令9066号と第442連隊戦闘団
ドナルド・トランプはWW3への引き金を引くか?
こういう記事があった。ついに大統領に就任したドナルド・トランプは、公約実現のため次々に大統領令に署名しているという記事だ。
彼を一代の快男児であると見る向きもある。それに関しては、かつて1930年代末期の日本でも同様の事象があった。快男児と見られる男の名は、アドルフ・ヒトラー。
経済復興、再軍備宣言、ラインラント進駐、ズデーテン割譲。
WW1敗戦と多額の賠償金で誇りを打ちのめされたドイツを救った快男児。政治家としてのヒトラーは、そう呼ばれるにふさわしい一面もあった。
ドナルド・トランプはどうだろう?
彼は北米大陸を「長城」で分断した男として歴史に残るのだろうか?
それとも偉大なるアメリカを取り戻した稀代の快男児として語り継がれるのだろうか?
とはいえ、そのへんの話は今回の主題ではない。
上記の記事にこういう記述があった。
ルーズベルトさん、さすがに3,522件は発動しすぎでは・・・。
そう、フランクリン・ルーズベルトは12年の在職中に多くの大統領令を発令している。激動の時代の中でその身をすり減らしつつ、ついでに共産主義に融和的だったせいで戦後社会がわやこちゃになる原因も作った名大統領。
彼が発した大統領令の中で、ごく一部で有名なものがある。wikipediaにも単独の記事があるものだ。それをご紹介しよう。
大統領令9066号
結果として大統領令9066号は日系人の強制収容へ道を開くことになった
F・ルーズベルトが署名したこの大統領令に関しては、すべてはこの一文でご理解いただけると思う。
あるいはご存じない方もいるかもしれないので、少しだけ説明すると、太平洋戦争の期間中、アメリカ国内の日系人は財産を没収された上で「強制収容」されていたのである。そう、ナチスがユダヤ人に対して行ったように。
詳しくは上述の記事をご覧いただければわかるが、「西海岸とアリゾナ州南部で全ての日系人が立ち退かされたという点で、日系人ほど大きく累が及んだ集団はない」と書かれるほど大規模なものだった。
この状況を語るのに欠かせないのが、上記二つの項目だ。
黄禍論。
排日移民法。
人種差別は当然のように19世紀から20世紀中盤までの世界を駆け巡っていたのである。黒人差別と同等の、むしろそれ以上とでも言うべき黄色人種差別。それは現代においても解決されていない意味で、他の差別と同類である。
では、太平洋戦争中、日系人たちはただ迫害されるだけだったのか?
第442連隊戦闘団
先程の問いの答えは、否である。
第442連隊戦闘団。これは日系人によって組織された部隊だ。アメリカ合衆国の歴史上で最も多くの勲章を受けた部隊であり、同時に最も高いレベルの死傷率を記録した部隊でもある。
その死傷率たるや、314%。
南アフリカ共和国のヨハネスブルグで強盗に遭う確率は150%という笑い話がある。外に出た場合は確実に強盗に襲われ、その帰り道に50%の確率で別の強盗に襲われるという話だ。
だが、この部隊は現実として笑い話の倍の死傷率を記録した。3800人の部隊で9000人以上が死に、あるいは傷を負った。おかしな話ではない。人が減った部隊には新しい人間が充足されるのだから。
これは日系人の民族的優秀性を示す事実か?
そんな話ではない。彼らはアメリカを愛していた。移民の国であり自由の国である合衆国に誇りを持っていた。たとえ差別されようとも、日系人に良き市民としての地位を確立するために戦い抜いた。
……とだけ言えば、戦争と差別が産んだ悲劇にもなるだろう。
しかし、実際はもっと乾いていたのかもしれない。現場の人間は上の意向で強制収容を実施したし、日系人たちも召集されたから部隊に配属され、苛烈な欧州戦線で戦ったに過ぎない。そういう見方もできる。
混迷の世界にアロハ
歴史は何も語らない。物語るのはいつも今を生きる人間だけだ。そこに特別な意味を付与しようとするのもまた、今この時に息をしている人間だけなのである。
第442連隊戦闘団に所属していた英雄の一人で、戦後も重要な存在で居続けたのはこのダニエル・イノウエだろう。彼は合衆国の勲章のみならず、フランスのレジオンドヌール勲章シュヴァリエや日本の勲一等旭日大綬章も授けられている。
彼は民主党上院議員の長老だった。亡くなるまで50年近く議員を務め、上院の仮議長を初めとして多くの要職に就いた。
2012年に亡くなった際には日本のニュースでも流れた。ハワイで生まれた彼の最期の言葉は「アロハ」だったという。その意味は「ありがとう」、または「さようなら」。
21世紀も序盤を過ぎた今、世界は新たな形の戦禍に見舞われつつある。
大統領令は人を生かしもするし、殺しもする。
ドナルド・トランプ大統領はどちらの道を選ぶのだろうか?
自作宣伝
【ニコカラ】born Warfare【第四回政歴M@D祭】 by 真里谷 歴史/動画 - ニコニコ動画
ちなみに、昔こんな動画も作っていた。古式ゆかしい歴史Flash風である。
重い話題にひとさじのエゴを、というわけだ。
どんな時でも重いばかりでは救われぬ。軽いばかりでは飛ばされる。程よいさじ加減でいきたいものである。もっとも、歴史が奔流となった時、それを許さないのもまた事実だ。
自分がそこに加担するのか、それとも傍観するのか。自分の立ち位置というものは、軽佻浮薄な自我のようにあちらこちらにふわふわと漂っている。