インターネット時代の人生の指標となる哲学者の名言4選
まあお聞き。
シノペのディオゲネス。樽のディオゲネス。犬儒学派のディオゲネス。
いろいろ呼び名はあるけれど、この「シニカル」の権化たる哲学者が、私はなかなかに好きでしてね。
ここでいう「なかなかに」の度合いは、「そこそこ」より上で、「かなり」より下といったところでしょうか。位置づけがたいものに関して多用する癖があります。こういう安易な言葉選びはいけないとわかっていても、ついやっちゃう。
というわけで、地上波で「コクリコ坂から」が放映され、その中でディオゲネスの話題が出てきたので、哲学者の名言でこれはと思ったものを並べてみようと思った次第ですよ。
もっとも、大半はウェブで聞きかじったもの。「ゼークトの組織論」のように、「あの人が言ったんならわかるわあ」というのも大いに含まれているでしょう。さてさて、ホントに彼の人が言ったかどうか、知るは泉下の人々のみ……。
ディオゲネス
「名声は悪を示す仰々しき飾りなり」
ウェブ上では「名門・名声は~」となっているのが大多数。
ともあれ、門地や名望というものがいかに空虚であるかを示しています。
大事なのはここで言う「名声」の中身。あるいはそれは虚栄心、あるいはそれは功名心――いかようにも読み解ける、ゆえにこそ活かすに心が要る。
自分という人生を考えるに、どこを目指すべきか、何を欲しているのか。改めて問い直したくなる言葉です。
キケロ
「感謝は最大の徳であるだけでなく、すべての徳の源である」
世の中、便利になりました。
物流は昼夜問わずに動き、コンビニは24時間開き、酷寒酷暑を避けることもでき……。
そうでなくとも、何かしらの扶助によって、この地、この場に生きているのだと実感します。それがあまりにも当たり前だから、ついつい感謝を忘れてしまう。
徳業徳行は理想ですが、日々のちょっとしたことに「ありがとう」を忘れないでいきたいものです。
個人的には「空気」にありがとうですね。彼らがその気になれば、全地上窒息死ですよ。筒井康隆先生の小説みたいなあっけなくグロい死に様が全世界で大発生です。
しかし、「ありがとう」と強調すると、ブラック企業で有名になってしまった某居酒屋チェーンを思い出してしまうのが何とも。
ルソー
「生きるとは呼吸することではない。行動することだ」
あの「社会契約論」で知られるルソーの言葉。
今まさしくこの名言に回帰すべき時が来ているのかもしれません。
提示されたテンプレートのような生き方が崩れ去り、誰も彼もが能動的な行動によって評価される時代……。
むしろ、受動的であり続けることは、身体的かつ精神的隷属を強いられる時代が、今ここにやってきているのだと。
ニーチェ
「私は貴方に助言する。友よ、人を懲らしめたいという強い衝動を持つ者を信用するな」
「神は死んだ」が超有名なニーチェ。肖像画の他にも写真が残っていて、近代の人なのだと再確認させられます。
そんなニーチェのこの言葉を見聞きするたび、昨今のインターネットで起こる「炎上騒ぎ」を思わずにはいられません。「義憤」に駆られた彼らは「大義名分」のもとに「義挙」を起こし、さながら目の赤くなった王蟲のようにどこまでも駆け続ける……。
なお悪いことには、私の中にもあるのです。その対象が真に邪悪であったならば、「義民」によって懲らしめられる姿を見届けることで、溜飲を下げる気持ちが。悪しき隣人の不幸を見て、嘲笑いたくなる衝動が。
そうして、いつか自分に矛先がやってくることを恐れている。
戒めなければなりません。自分の信用が底を打つ前に。
言うは易く行うは難し
かくて省察すれども実行なしでは、成長もなければ未来もなく。
ひとつひとつ、確かに歩みを進めていって、自分の中での革命を起こしていきたいものです。
ところで、「言うは易く行うは難し」は塩鉄論が初出とのこと。残念ながら読んだことはありません。
世の中の書物ってのは、全部積んだらどれだけの数があることか。
しかし、老い衰えるのが命の運命なれば、そこから何を読むか、何を得るかを選んでいかねばなりません。「少年老い易く学成り難し」であり、「一寸の光陰軽んずべからず」です。
というわけで、東洋哲学からも言葉を持ってきて終わりに……えっ、この言葉のもとになった詩歌、朱熹の作じゃないらしい? マジっすか?
(参考:少年老いやすく学なりがたし - Wikipedia)
図らずも最初に述べた通り、「ホントに彼の人が言ったかどうかわからんよ」ということですが、それはそれとして、遺された言葉は生き続け、現代の私たちの心にまで届くのです。
ほら、良い感じに終われる気がしますね? ええ、終わりましょう。