コペルニクスの地動説はなぜ発表時に教会から非難されなかったのか?
- コペルニクスを知っていますか?
- コペルニクスが唱えた地動説とは?
- サモスのアリスタルコスが唱えた「太陽中心説」
- コペルニクスの地動説が当時教会に受け入れられた理由
- ジョルダーノ・ブルーノとガリレオ・ガリレイの登場
- 禁書目録入りと復活
- キリスト者であり続けたコペルニクス
コペルニクスを知っていますか?
高校の授業で「世界史」を学んだ人なら避けて通れない人物、ニコラウス・コペルニクス。
彼は地動説を提唱したことで有名な天文学者ですが、授業ではガリレオ・ガリレイに押されて、それ以上の情報をご存知ないのではないでしょうか?
しかし、実はコペルニクスはセンター試験や各大学の入試でも頻出のポイント。
さらにはローマ教皇や関連する項目も覚えておいしい。こういう要素の結節点は学んで損はありません。
コペルニクスが唱えた地動説とは?
16世紀のヨーロッパは、古代の天文学者プトレマイオスが提唱した天動説を信じていました。地球を中心と考えた説のため、地球中心説とも呼ばれます。(厳密には分けて考えるべきですが)
カトリックの司祭であったコペルニクスは、しかし、この説に対して疑問を抱いていました。
というのも、当時使用していたユリウス暦に照らし合わせてみると、どうしても1年の長さが合わないのです。
他の天文学者たちもその違和感は理解していて、様々な手立てを用いて修正を重ねていたのですが、どうしても正確な数字を産出できませんでした。
サモスのアリスタルコスが唱えた「太陽中心説」
コペルニクスが参考にしたのはアリスタルコスです。彼は紀元前、古代ギリシャで活躍した天文学者で、「太陽中心説」を提唱しました。宇宙は非常に広く、その中心に太陽があるとする考え方でしたが、アリストテレスやプトレマイオスの天動説ほどには受け入れられませんでした。
それから1700年以上……コペルニクスの出現をもって、太陽中心説は「地動説」とともに表舞台に登場することになります。
何しろ西ローマ帝国の滅亡後、ヨーロッパは「暗黒時代」と言われる長い停滞の時期に突入しました。ルネサンスに突入する前の世界は、イスラム教勢力が文化や科学の中心地だったのです。
コペルニクスの地動説が当時教会に受け入れられた理由
ガリレオ・ガリレイの「それでも地球は回っている」は、世界史に興味のない方も知っている言葉でしょう。
また、ピサの斜塔から重さの違う物体を落とした実験のことも、多くの方がご存知かもしれません。
残念ながら、双方ともに逸話の域を出ず、実際にあった出来事ではないと言われています。
ただ、教会による宗教裁判を受けたのは事実。
Q.じゃあ、コペルニクスも裁かれたの?
A.いいえ、裁かれませんでした。著作をローマ教皇に献呈してさえいます。
生存中、コペルニクスは教皇庁から異端審問を受けることはありませんでした。
その理由は大きく分けて2つあります。
1.コペルニクスは著作「天球の回転について」を没する直前に出版した
コペルニクスは1543年に亡くなりますが、著作である「天球の回転について」もまた1543年に出版されています。
彼もまたカトリックの司祭ですから、自分の著作がどういう反響を呼ぶかという点について、よくわかっていたのではないかと考えられているわけですね。
2.数ある仮説の1つとして受け止められた
コペルニクスの発表した地動説は、改良を加えられた天動説と比べて、そこまで精度が高いものではありませんでした。
教皇庁も暦の問題点を修正するのに意欲的であり、純粋に数学理論の観点から考えた場合、コペルニクスの論文を完全に否定できなかったのです。
むしろ、宗教改革で知られるマルティン・ルターの方が、すなわちプロテスタントたちの方が、コペルニクスのことを厳しく非難しました。聖書主義を唱えた彼にとって、聖書の記述と矛盾する地動説は許しがたいものだったためです。
ジョルダーノ・ブルーノとガリレオ・ガリレイの登場
言ってしまえば、「そこまで影響力がなかったから」教皇庁にスルーされたコペルニクスの理論。
しかし、16世紀後半にジョルダーノ・ブルーノが登場したことで、状況は変わりました。哲学者であり、修道士でもあった彼は、コペルニクスを始めとした先行研究から独自の理論を組み立てます。
中でも「神は万物と同一であり、特別視する存在ではない」とする汎神論や、地球は自転を行っているとする主張は鮮烈であり、カトリック教会から異端視される結果を生みます。
その頑固な態度は、ついに異端審問の末の火刑という結末を迎えました。
後に登場したガリレオ・ガリレイは、ブルーノの死を学んだからこそ、自説の撤回に応じたとも考えられています。
ただし、ガリレイもまた最初から迫害されていたわけではなく、口頭での注意に留まっていたのです。それでも地動説を主張し続けたため、また一部の説によれば彼の人格に問題があったため、再度の宗教裁判によって重い刑を課せられることになりました。
禁書目録入りと復活
ブルーノによるコペルニクスの言論の再発見もあって、「『天球の回転について』って実はヤバイ書物なんじゃねえの?」……と砕けて思ったかはさておき、その主張が反カトリック的であるということになりました。
このため、ブルーノの死んだ1600年(関ヶ原の戦いと同じ年ですね)から16年後、コペルニクスの「天球の回転について」は禁書目録に入れられることになります。
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もちろん、禁書目録と言ってもこれではありません。
カトリックに対して害なすと思われたものが集積されたこの目録には、ブルーノやガリレイの著作物も仲間入りしています。
しかしながら、コペルニクスの本については、教皇庁が問題とした箇所を修正することで、比較的早期の段階に禁書目録から外れています。
キリスト者であり続けたコペルニクス
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歴史は流れです。まるで編み物のように縦横に関連しあっているので、ひとつを理解することは他の事項の理解へも繋がります。
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