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【堀江貴文】「人生を変える言葉」が伝える新たな価値観

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堀江貴文の言葉を全身で味わった

堀江貴文 人生を変える言葉

堀江貴文 人生を変える言葉

 

 有名人を扱う時、いつも困ることがある。

 それは敬称の取り扱い。

 昔から不思議だった。有名人は呼び捨てにしていい風潮が……。

 しかし、きっとそれだけ「公的なもの」として認知されているのだろう。

 なので堀江氏、堀江さんには悪いけれど、敬称略で通させていただく。

 

 本書はついこの間、2016年の8月に発売されたばかりの新刊である。

「人生を変える言葉」

 とろんとさせてくれる響きだ。

 そして、私が言ったところで、こうまで影響力を持たないであろう旋律だ。

 これまでに何かを「成して」きた人物が言う言葉には力がある。魔力と言ってもいい。


 既成概念という呪縛から、第二宇宙速度で飛び立たせてくれる奇跡の翼だ。

 

 果たして、この本にそれだけの力があるのか?

 それとも往時ほどの勢いを感じない死んだ言葉のみだったのか?

 その点を明らかにしたいと思う。

 面倒な方のためにネタバレしておくが、私にとってはタメになった。全部を丸ごと飲み込みたくはない。しかし、これを胸に秘めて、瀑流のごとき現代を生き抜いていきたいという言葉は確かにあった。

 これを前提として、話を進めさせていただきたい。

 

207の言葉が読者を響かせる

 本書には207の言葉が散りばめられている。

 また、それぞれの言葉には注釈というべきか、説明文が付記されており、これがモノによっては滅法に痛快だ。

 章構成は全8章。それぞれの言葉のカテゴリ別に分かれている。詳細は以下の通り。

第1章 走る

第2章 貫く

第3章 生きる

第4章 思考する

第5章 稼ぐ

第6章 つながる

第7章 学ぶ

第8章 見通す

 興味を引く項目はあっただろうか?

 即物的な私は、まずもって第5章の「稼ぐ」に惹かれた。

 なので、順番は前後してしまうが、第5章の中からいくつか心に響いた言葉をご紹介したい。

 

「稼ぐ」とはどういうことか

 のぎへんに家とある通り、自家薬籠中の物とすることを稼ぐと呼ぶのかもしれない。

 これは私の見解だから、まるきり間違っている可能性はある。

 では、堀江貴文はどう言った?

お金から自由になるために働こう

 お金を「もらう」だけの仕事を、お金を「稼ぐ」仕事に変えていこう。

 儲けるために働くのではなく、お金から自由になるために働こう。

 僕は20代の早い段階で、お金から自由になることができた。それはたくさんのお金を得たからではない。仕事に対する意識が変わり、働き方が変わったから、お金から自由になれたのだ。 

 この通りである。

 まさしく「稼ぐ」というカテゴリを象徴する内容なのではないだろうか。

 子曰く、お金を「もらう」こととお金を「稼ぐ」ことは違うのだという。また、大量のキャッシュを手元に置く行為が、すなわちお金から自由になるのでもないという。

 マジか。

 金があれば、すなわちその不安から自由になれるんちゃうんか。

 

 ちょっぴり愕然感があったものの、賢しらぶって考えれば、「もらう」と「稼ぐ」では全然違うのだから当然だ、ということにもなる。

 誰かに操作される人生から、自分で舵を取る人生へ。

 それも金儲けのためではなく、自由になるために。

 

 自由!

 うさんくさい言葉だなあ!

 そう思ってしまう私は、ある種の呪いを受けているのかもしれないし、毒を感じているのかもしれない。

 なのに、その響きに憧れを抱いているのである。お前は巨根に憧れながら短小の良さを力説するチェリーボーイか。

 

「稼ぐ」ことの理解を深める

 答えは別の言葉にあるかもしれない。

 ここで、二つの言葉を並べてみよう。

仕事は、みな娯楽である。

 ネットビジネスは、いまだに世間からは正当な労働とはみなされていないようだ。

 ならば、娯楽でいい。遊んで儲けている、それでいいじゃないか。

 そもそも仕事は、見ようによれば、みな娯楽なのだ。

「仕事は娯楽である」という意識を持てば、人生観も変わってくる。楽しく生きられるようになる。

 つらく苦しい仕事を我慢して生きなくてもいい。

自分にできないことはしない

 自分に何ができないか、その部分はなんとなくわかるよ。だから、不得意なところは人に任せるのさ。でも、みんな真面目だから、そういうことができないんだよね。たとえば、本を書くとかと言ったら「全部自分で書けよ」みたいなことを言う人がいるよね。書くために貴重な時間を費やしたことが尊いみたいな。それがダメなんだよね。俺にとって、本を出すことの目的は、売り上げと自分の考え方を広めたいってことであって、「書くこと」じゃないんだよね。 

 前者は帯にもなっている言葉だ。

「理想論だ!」

 と心のどこかで叫ぶ声がする。

 きっと、これまでの社会人生活を経て醸成された、苦しみあえぐ労働者としての私だ。捨て切りたいと願いながら、一方では否定されたくないとも思う、弱い私だ。

「成功者め!」

 と心のどこかで叫ぶ声が……同じ展開なので以下略。

 結局、自由というものの考え方はこういうところから生じているのではないだろうか?

 自分にできることを、楽しむ。

 本田宗一郎がそうであったように、好きなことを目一杯やってみる。

 それが金儲けに拠らない、お金から自由になるという理念なんじゃなかろうか。

 

 そう思っていたら、また別の言葉が出てきた。

ふわっとした人は何もできない

 僕がIoTと言ったらIoTに飛びつくようなふわっとした人は、ふわっと飛びつくだけで何もできないんじゃないかな。

 ここまでの私の文章、すげえふわっとしてないっすか?

 

野心ある紳士淑女よ、行動せよ!

 そんなデパ地下のスイーツにありそうなふわっと感を醸し出しつつも、どうすれば腰を据えた存在になれるのか?

 どうすれば「稼ぐ」思考と行動が同一し、知行合一となれるのか?

 こちらの言葉を見てみよう。

常に行動と提案を

 この時代に必要なのは、行動と提案だ。

 上司や仲間と飲みに行って、なんとなく仕事を回していればOKな時代はとっくに終焉した。

 とにかく、提案しろ。思考を続けろ。

 最初はどんな提案も、若僧の絵空事と思われて、上司には冷たくあしらわれるかもしれない。

 けれど、大丈夫だ。

 自分の頭でものを考えている人の話は、いつか必ず誰かが耳を傾けてくれる。

 逆に言うなら、自分の頭で考えている者を無視するような会社だったら、さっさと辞めてしまったほうがいいだろう。

 行動提案

 この二つの要素に絞ってきた。

 なるほど、それこそ能動的に自分の未来を自分の頭で組み立て、ひねり出し、歩んでいこうという意志に他ならないのかもしれない。

 ふと思い出した。

 ゲームの話だが、今は懐かしき太閤立志伝。このゲームではたとえ採用されなくても評定で提案するだけで勲功値が貯まっていったものだった。

 今にして思えば、そういうところから積極的に学ぶべきだったと実感する。

 桃太郎電鉄で地理を覚えたんだから、それができないわけがない。

 うーむ。

 

それは珠玉か木石か

「稼ぐ」カテゴリからの引用は以上にさせていただこう。

 このような言葉が全8章、ずらりと並んでいる。

 他にも心に届くものはいくつかあって、今少しお付き合い願いたい。

 人によって玉ともなれば石ころにもなるとは思うが、それでも誰かに届けばと感じる。その上でもっと興味が湧いたなら、本書を手に取ることをおすすめする。きっと人生の強力な推進剤になってくれるだろう。

安定を保つのは難しいと心得る

 物事というのは、安定している状態を保つことがいちばん難しい。

 たとえば、コップの中の氷は、いつかは溶ける。固形の水の状態にとどめておけず、その形を残しておくためには、冷凍庫に入れるしかない。つまり、同じ状態をとどめるためには、ものすごくエネルギーが必要だということだ。

 人生も同じで、普段からそう考えているべきなのである。

「自分がバカ」であることを知っている人は強い

「自分がバカ」であることを知っていれば、わからないことがあったら、なんの躊躇もなく人に聞くことができる。自分に知識がないことを恥じる変なプライドがないから、逆に利口な人を使ってすばやく動くことができる。
 一方、中途半端に小利口な人間は、不得意なことまで全部自分で頑張ってやろうとしてしまう。しかし、利口な人の仕事には勝てないから、大変な思いをするだけで、あまり成果は上がらないという状況になる。
「自分がバカ」であることを知っている人は、強いのだ。

情報は、ただ浴びればいい。

「そんなにたくさんの情報を取り入れたら、頭がパンクしませんか?」と聞かれることもある。ここに多くの人の誤解がある。個々の情報は記憶するのではなく、浴びればいいのだ。情報は取り入れたら、そのまま忘れてしまって構わないのだ。それでは、情報を取り入れる意味がないかもしれないと思われるだろうが、本人が忘れたつもりでも重要な情報は脳の片隅にちゃんと残っている。大切なことだけが、ちゃんと残るものなのだ。
 大量の情報を、脳という引き出しにいったん全部詰め込む。そうすれば、何かのきっかけで引き出しの中の情報と情報がぱっとつながって、新しいアイデアが生まれる。起業のアイデアなど、頭をひねって考えるようなものではない。情報のシャワーさえ常日頃、浴びるようにしていれば、アイデアはいくらでも湧いてくる。思考法などというご大層なものもない。ただ、情報をつなぎ合わせていくだけだ。

 中でも最後の情報を「浴びる」という表現が刺さった。207個の中で最も知覚的、本能的な収穫を感じたと言ってもいい。

 インターネットが普及し、誰もが発信できるメディアを持った昨今、巷には情報があふれている。それらを取捨選択するのは大事という言説はよく見るが、そこに「浴びる」という体感概念を持ってきたことで、腑に落ちる気がした。

 情報の混交、ハイブリッドから生まれる発想をこそ、ひらめきと呼ぶのかもしれない。例えば、私は動画作成でありがたくもそれなりの評価をいただいた。

 だが、何も新しいことをやったわけではない。それどころか動画なのに静止画を連続させるという、ある意味での逆行芸をやったに過ぎない。

 そもそも、実行したのは古典的なプレイレポだ。

 ここに小説でいう三人称一元の考え方を導入した。映画で言えば小津安二郎監督の作品に近いだろうか。

 

 今述べたようなことも、理屈は後からついてきた。

 基本は好きだから作ったのだ。

 だから、誰かに届いた。ただそれだけであるとも感じている。

 重要なのは行動し、「こういう楽しみ方はどうかな?」と提案したということ。

 そこにのみ帰着すると考えることもできる。

 

すべての言葉をただ浴びてみよう

 こういう結論になるのではなかろうか。

 いずれも言葉は言葉である。それがどう結実するかは受け手の資質や考え方による。その感想は千変万化で、全く同じということはない。浴びてみることでしか見えないだろう。

 というわけで。

 ホリエモン流の生き方にどうしても沿えない。その言葉も聞きたくないというのでもない限り、得るものはあるだろう。

 特に、知覚的な面で感じるところが多かった。日々の生活の中で意識するポイントというものを学ぶことができた。

 

 余談ではあるが。

 どこかの書き込みだったか、「ホリエモンをゼンカモンと呼んだらブロックされた」という発言を見た覚えがある。ブロックというぐらいだからツイッターだろう。

「ははあ、堀江なんてのはやっぱり一時の時代の寵児に過ぎなかったのかな」

 そう思ったことは事実だ。

 そりゃ私だってイラッと来るだろう。そんなあだ名をつけられたら。

 しかし、むきになってブロックするほどでは……と考えていた。

 違ったのだ。

 きっと彼はそれも情報として浴びた上で、こいつはどうでもいいものだと気づいて、二度浴びる必要がないように措置を講じたに過ぎないのだ。

 ぐっと我慢するのが大人の対応なんて時代は、遠き大戦のころに終わっていたのかもしれない。こっちの方がずっと合理的な考え方だ。成功者にとって最も大事なのは、価値ある人間だけ付き合うようにする時間管理なのだろうから。

 

 私はゼンカモンになる気はないし、ましてやホリエモンそのものになる気もない。

 一方で、生き方を変える、その指針にはなる一冊だった。

 せめて誰かのバッタモンにならないよう、楽しみつつこの情報化社会を生きていくとしよう。