まあお聞き。

最新のニュースやゲーム、動画、本などの話題について、1マスずれた面白い話をお届けします。

文章の筋力について

スポンサーリンク

文章は筋力ゆえに鍛えられるし衰えもする

f:id:tilallareone:20160827131930j:plain

 文章力はすべての基本です。

 勉強するにしてもそう。

 労働するにしてもそう。

 文章が書けなければ問題に答えられないし、そもそも設問を読み解くことすらできない。メールの文面さえ浮かばずに悪戦苦闘する羽目になったり、もっと言うなら意思の疎通を図るのも困難になる。

 総合的な文章力というのは、読解力や口語力まで包含する概念として考えるべきものです。

 

 何が言いたいかって?

 いやぁ、ちょっと思うところあってですね。

 プロフィールをご覧いただければわかることですが、私は趣味で東方Projectの二次創作もやってまして、定期的に掌編小説をアップしていたわけです。

 それがここ2ヶ月ほどやっていなかった。

 

 小説を書くのは二次創作にかかわらず、一次創作……オリジナルもやっていて新人賞に応募しているんですが、ここ1ヶ月ほどは全く手付かずじまい。

 それで久々に書いたんですが、やっぱりダメですね、何もしないってのは。

 そう痛感したというお話です。

 

筋肉に余裕があるから「遊び」も生まれる

ameblo.jp

「文章 筋力」で検索すると、こういう記事が上位でヒットしました。

 面白い。

 まさかスピリチュアルな方面で出てくるとは。

 想定していたのは創作の指南サイトやビジネス力の向上サイトだったので、こういう方面から来るのは予想外でした。

 でも、内容はとても良いことを言っています。

 

 そうなんです。何もしないと「創作の筋肉」も「文章の筋肉」も衰えて、一文一文を書くたびに息切れしてしまう。

 これを実際に感じました。1ヶ月も書かないなんて久しぶりでしたから。

 私がオスカー・ワイルドだったら「今日は一文字書いたぜ」→「今日は一文字消したぜ」をやったとしても絵になるとは思うんですが、いかんせんアマチュア文章書きですからね。無目的な鍛錬は無価値ですが、無目的な不作為は害毒になるというわけです。どんどん衰えていく。吹雪の翌日に太陽が照り続けるようなもんですね。

 

正しいトレーニングは存在するのか?

el.jibun.atmarkit.co.jp

 この話題に関しては、上の記事も面白かったです。

 プロである研修講師の方の言によれば、文章力を上げるための4つのポイントがあるらしいですよ。 

  • ペルソナ法:読み手(ペルソナ)の人柄や要求を具体的に想像したうえで、ペルソナを説得できるような文章を書く方法
  • パラグラフ法:文章を段落(パラグラフ)に分け、文章全体の論理を構築する方法
  • スペクトル法:未知のものから来る情報(スペクトル)を、自分の経験や仮説と照らし合わせて検証し、文章に落とし込む方法
  • レビュー法:自分が書いた文章を、第三者になったつもりでレビューする方法

 ははあ、とアゴをさすってしまいましたね。

 特に、ペルソナ法は文章読本などでもよく聞くやり方です。詳しくはいずれ単品の感想エントリとして書いてみたいですね。

 パラグラフ法は文を短く、それでいて文意を伝わるようにするために、非常に有用ではないでしょうか。特に、webで読む文章なんていうのは、あまりだらだらと長いとその時点でブラウザバックしちゃいますもんね。これが紙書籍だとそこまででもないんですが……お金出して買ってるからかな?

 ただ、最近は紙の書籍でも一文一文のトピックがはっきりしていて、短くまとまっている方が好ましく思えます。ノウハウ本などはそんな感じ。小説との違いかもしれませんね。でも、小説も短い方がいいかな……。あまりうまくない文章での長い文章は苦痛であり苦行です。

 と、4行5行と長い文章を書いてしまってから思ったんですが、これこそまさしく駄文の典型。

 もっとサクッサクッと切れ味良く、また小気味良く仕上げていかねばいけませんね。

 

どんな社会にも対応できる力

shirayu.com

 最後はこちらの記事。

米デューク大学のキャシー・デビッドソンは、
「2011年度に米国の小学校に入学した
子供たちの65%は、大学卒業時にいまは
存在していない職業に就くだろう」

と言っています。

これ、どういうこと?

ですよね。

考えてみれば数年前まで、
私たちの身の回りにはなかったものや
職業がたくさんあります。

時代がかわっても通用する
「筋力」がないと、
なにをやったってダメです。

だから本を読め!

だから人と会え!

と言ってるわけです。

 ふむふむ。

 まさしく、そうなのでしょうね。

 突然ですが、小説公募の星新一賞などでは以下のような記述があります。

人間以外(人工知能等)の応募作品も受付けます。ただしその場合は、連絡可能な保護者、もしくは代理人を立ててください。
審査の過程において、人工知能をどのように創作に用いたのかを説明して頂く場合があります。

 実際、自動生成された作品もなかなかの数が集まっているらしいですよ。

 賞の名前と冠されている星新一が描いたように、思想自体は昭和のころからありました。しかし、実際にそれが可能な世の中になるとは、十年前には考えられなかったかもしれません。

 それこそ、チェスや将棋や囲碁の世界で、コンピュータは人間に勝てないと言われ続けていたように……。

 

 もしかすると、今から10年後には「人工知能エンジニア」だとか「人工知能評価士」なんて職業が生まれているかもしれません。

 それこそ10年前にはクラウドソーシングなんて働き方は考えられなかったでしょうし、クラウドファンディングによる資金調達が新たな潮流になるなどとは予想されていなかったでしょう。

 そうした新たな地平を切り開く時、また新たな時代を生き抜く時に必要なのが国語力であり文章力であるとするならば、これは意識的に鍛えてやるべきだと感じます。

 

 もしかすると、義務教育だけでは足りないかもしれない。学習塾や家庭教師でも補えないかもしれない。

 言葉遣い、礼儀作法、そうしたものを最初に発揮するのは家族間のやり取りなのですから、いかにファミリーの中での文章力向上を果たすか。これが高度に情報化していく現代、そして近未来の課題かもしれません。

 おや、結構話が大きくなってきましたね。

 ただ、格差が広がる社会です。文章力の有無が実質的な「支配階級」「奴隷階級」に分けるのだとすれば、実に由々しき問題でしょう。

 自分の人生くらいは自分で主導権を握りたいですからね……。

 

 1番大事な事は、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということ。だからこそ、書いたものが面白いというのは、その人にしか起こっていない、その人しか考えないこと、その人しか思いつかないことが、とても読みやすい文章で書いてある。だから、それがみんなの心を動かすわけです。

   出典:④井上ひさしの作文教室 - 読みやすい文章を書くために

 この言葉を我が身に心して、本エントリを閉じさせていただきます。