感謝と温かみとポジティブで
良い話題が良い作用を生む
よくビール飲んでた頃に飲み比べた結果、キリンの一番絞りがいつも品質が安定していたので、作ってる人に感謝の意を伝えようと思ったら、サイトに苦情の窓口しかなくて、しょうがないからそこに感謝の文書を送ったら、返信不要って書いたのに「全工場に回覧します!」って返信があったことがあった
— パラダイスさん (@paradisemaker) 2016年9月14日
いい話だ。素直にそう思った。
インターネットをやっていると、心が荒む。炎上ネタには事欠かない。人の世の暗い部分だけを見つめて生きている。そんな気分になる。深淵を見つめる時にうんたらかんたらだというのに。
私にも好きなものはある。
好きな趣味だってある。
そういうものを語っていきたい。
もちろん、自分の中に潜むシニカルな部分を否定するわけではない。否定しきれない。
しかし、結局、その先には何も生まれないのだと思う。私がシノペのディオゲネスのように、何物をも求めず、ただ在るべくして生きるような哲人であったなら別だっただろう。
残念ながら、私は欲に満ちている。物書きでひとつ名を成したいという俗じみた野望を持っている。
手始めに感想を送るところから始めようか?
巷には良い創作、良い製品があふれている。
私はそうした野望のかけらと優しさの切れ端を食べて過ごしている。
本サイトを見に来てくださっている方々にも、ぜひ共有したいと感じることは多い。そのために際限なくカテゴリを増やしたのだ。
ただ、実際にやってみて気付くことはある。
私は「小説を書く」のと「ブログを書く」のとでは、「小説を書く」方が性に合っているように感じるのだ。
ブログだとどうしても「我」が出てしまう。これが気恥ずかしい。
もっとも、小説は下手なりに16年選手だ。ブログは昔やっていたのを合計しても10年に満たない。このあたりを突き詰めていけば、変わらないとも限らない。
ともあれ、何事かを書いてみようと思う。
良いものに良い言葉を。
悪いものに直言するよりずいぶん健康的だ。私は身体的に不健康なのだから、これくらいでちょうど良いのかもしれない。そう感じる。
見返りを求めない感謝
思えば、これまで結果を残してきたのは、純粋な感情だった。
ただ面白いと思えるものを面白いと思う形で――。
それが多くの方々に期せずして響いた。おかげで今の多くの付き合いに繋がっている。
見返りを求めてはダメなのかもしれない。
そりゃあ、たまにはゲスに生きるのも良いだろう。
でも、どんな相手と繋がりたいかって、常に笑顔にしてくれる相手だ。少なくとも、私はそうだ。
さあて。
それでは、どこから手を付けていこうか?
「ネットは広大だわ」
とまでは言わなくても、可能性は無限に続いている。
それが、楽しくてならない。