【三沢文也氏の記事を読んで】すべての創作者は勝負できる実弾を持ち、飛来する敵弾にひるまず前進せよ
創作とは戦列歩兵である
素敵な記事だった。とても素敵な――。
ちょうど東方求聞口授を再読して幻想味を高めていたところだったので、頭脳は充分に活動している。
ゆえに、予定にはなかったが、本記事を作成した。私にとっての創作は情動であり、感動の兵站によって拡大する戦線である。ブログも動画も小説も、私にしてみれば数多創作に分類されるもので、その基本スタンスは変わるところがない。
創作者よ、実弾を持て。
実弾とは作品である。敵弾とは非難である。
戦列歩兵というものをご存知だろうか?
もちろん、ご存知なくても勝手に話を進める。これは拙作「東方紅海夜」のころから変わらないスタンスである。諦めていただきたい。
なお、宗教評論家のひろさちや氏は「諦める」とは「明らかにする」ことだとおっしゃっている。私という人間を明らかにすると、たとえ横に後ろに倒れる戦友があろうとも、敢闘精神で前進を続ける戦列歩兵である。そういうことだ。
前進を続けるからには、味方だけではない。敵が増えることもある。彼らはその弾丸でもって攻撃してくるかもしれない。
ああ、嫌だ。私は非難は大嫌いだ。優しい世界が好きなのだ。突き抜けるくらいに。
それでも、「飛行機は抵抗があるから飛べるのよ」という耳に心地よい言葉を念仏のように唱えつつ、表情をクシャクシャにして前進するのだ。
でなければ、創作はいつか当たり障りのない独り語りになってしまう。敵味方のいない独り語りは、つらい。
フリーゲームについて
フリーゲームは好きである。
明日発売のこのゲームは特に楽しみだ。
何しろフリーゲームが好きすぎて、アイドルの皆さんに動画で遊んでもらっていたくらいである。残念ながら、最近は大課金魔法「デレステ」に欠かせないとしてご多忙な様子なので、続編を制作しきれていないが。
参考:ゲームセンター輿水とは (ゲームセンターコシミズとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
さて、本稿の最初に挙げた三沢文也氏の記事の話題である。
詳しいところは同記事を読んでいただくとして、以下に一部を引用させていただく。
「キャッキャウフフする仲間を確保するにも、ある程度の成果物や人気は必要。
特にコミュニケーションが少ない界隈であるほど、知ってもらうための成果物や作ったことのある人にしかわからない細かい話ができないとムリ」
これである。
私はこの意見に全面的に賛同する。
もっとも、ゲーム製作者としてではなく、動画製作者(ならびに小説他の創作者)としての立場からであるが。
これを四字熟語で我田引水という。我が田が青々となれば良いのである。白黒の魔法使い風に言えば、「ちょっと借りてくぜ」ということだ。
メンタルモンスターでもない限り、無風では進めない
これをご覧の読者の方々は、私ほどとは言わずとも、大なり小なり豆腐メンタルではないかと考えている。精神は個々が思う以上に脆いものである。とりわけ創作などという地図のない海へ漕ぎ出すような真似をするからには、風がなければいずれ先に進むことをやめてしまう。業界用語で言う「エターナる」である。
三沢氏の記事では、彼がブログを続けられたのはリア友からの応援があったから……というエピソードが紹介されている。
私には、これがよくわかる。
といっても、私のリア友は最後にあったのが数年前という体たらくだ。なかなか無頼伝涯なみに「孤立せよっ・・・・!」を貫いている。
代わりに、私にはニコニコ動画があった。
あのサイトがすばらしかった点は、コメントが動画内に飛んでいくというところだ。どこがウケていて、どこがウケていないのかが視覚的にわかる。ヒット作を出すまでに60本ほど0コメ1コメ2コメを経験したが、それさえも土壌になった。
人は、経験が一番糧になるのだ。
正確には「凡人は」であるが。
なぜなら賢者は歴史に学び、同じ轍を踏まずに悠々と高みへ昇っていく。格言の通りである。
実績があったから創作分野の友もできた
そうして積み上げた動画が600本強。
総再生数にして300万ほど。ありがたいものである。(それでも8分の1BadApple!!なのだが)
数字を積み重ねたからこそ、「いえいえ、たとえ100再生であっても、100人弱の人が見てくれたということです」などという余裕ぶったセリフを吐ける。
かつて「学歴なんて関係ない! 東大出てから言ってみたい!」という予備校のCMがあったが、まさにその通りなのだ。自分に裏付けがないと本心から言うことはできない。もし実績がなければ……余裕は弱者の怯懦になり、謙遜は敗者の卑屈になる。
確かな手応えは自分の中の軸になる。たとえ別の分野で結果が出なくても、蓄積が再びの喝采を呼ぶという貫禄になる。
そうしていると、同じ話題を共有することもできる。ツイートを見てみたいという人も出てきてくれる。
作品を実弾と表現するのは、実は「吼えろペン」から借用している。とてもしっくり来る表現だった。
実弾はざっくり言えば名刺のようなものであり、直感的にはポートフォリオである。
「私は絵描きなんです!」
と言いつつ、自前のサイトもPixivアカウントも持っていなければ、まず誰も信じてはくれないだろう。
「私は字書きなんです!」
と言うのに、小説サイトのマイページや同人誌の発行一覧などがなければ、やはり相手にはされまい。
だが、創作者はいつだって後ろから来てくれる人を待望している。
誰もが孤独だから、激烈に苦しい創作の壁をいっしょに登攀してくれる存在を切望している。
同時に、完成させるということがどれだけつらいことか。
完成させたということがどれほどの喜びであるか。
これもまた知っているからこそ、確実にそこを目指している人としか共鳴しあえない。
なお、これはあくまで創作分野に限った話である。
「絵描きは絵描きだけでつるんでいる!」などといった言説が散見されるが、単に絵の話は絵描き同士でするのが一番だから、そうしているだけの話だ。ニチアサのスーパーヒーロータイムを語りたいなら、同じものを楽しめる人と話すだろう。
おもろい人に国境はないし、創作の担い手だろうが受け手だろうが関係ない。話していて楽しいなら繋がる。「創作者同士でばかりつるみやがって」と不満を露わにするような相手とは繋がらない。それだけの話だ。
本当にお近づきになりたいなら、100のリプライより1の実弾である。例えば絵描き相手なら、実弾は美麗な絵や卓抜した話術になるだろう。
ちなみに、私はこの2つを持っていないので、「楽天中川は希望の星になれるのか?」とか「ナターリアってちょうかわいくね」とかで話題を共有している。人と人の繋がりは共有の話題がどうとかよりも巡りあわせや運も作用してくるので、ひとところにこだわり過ぎない方が良い。
何だか恋愛の指南みたいだが、私は彼女いない歴=年齢なので説得力がない。
フリーゲーム製作者という茨の道
三沢氏の記事では、フリーゲーム製作者が特に不遇であることを伝えていた。
その作業量は、作りこめば作りこむほど絶大であるにもかかわらず、である。
・イラスト
・ドット絵
・スクリプト
・シナリオ
・音楽
・効果音
・営業
・宣伝(広報)
パッと思いつく限りでも、これだけのことを1人ないし少人数でこなさなければならない。
何だこの荒行は……。
もちろん、素材配布サイトや外注などで負担を軽減できるにしても、そういうノウハウ自体をまた習得しなければならない。おっと、「交渉力」が重要になってきたぞ。
配布サイトを巡るのならば、「検索力」も必要だ。もちろん利用規約に沿って使う必要があるから、「法務」も心がけねばならない。
私はかつてSFCのRPGツクール2でおちゃらけRPGを作成したが、あれは他愛のないものだった。ツクール2000以降のフリーゲーム界の隆盛を見ていると、心からそう思う。
ゲーム製作者の何がつらいかというと、成果や実績を挙げるまでに多大な時間と労苦が掛かることだ。
そういう界隈に於いて、ネットでキャッキャウフフできる人は実績がある人であることが多いように思う。
と、おっしゃっている通りの実績を作り上げるまで、心折れずに作成しきらなければならない。
無論にして、最初は小さなものでもいいのだろう。成功体験を積み重ねることで、ある程度の物を作れるようになる。詰まる。挫折しかかって……また立ち上がる。
だが、そこに行くまでが大変だし、ちょっとつまづいた段階で「ワイは何やっとるんや」と存在の耐えられない軽さに愕然とすることも多い。
絵描きや漫画描きがイラストや1P漫画をアップしたり、字書きが掌編短編で殴り合い、もといやり取りをしたりするのとはわけが違う。
そうなると、SNSでの活動報告なんてのもホントに報告だけで、交流する時間だって捻出しづらくなる。
すげえな。
改めて、そう思った。
いや、書いていて再認識した。
ゲーム作る人、すげえな。
倶に天を戴かずとも
とうとう東方紺珠伝をまるまる持ってきてしまった。
あちらは純粋な怒りの表現だったが、こちらは純粋な尊敬の表現である。
フリーゲーム製作者の皆様においては、すさまじい戦いの荒野を歩んでおられるのだと実感した。
楽しいだけで歩むには、あまりにも過酷すぎる荒野だ。
もし「コッチヲ見ロ!」とシアーハートアタックのように叫びたくなった時は、ツイッターで私に呼びかけてもらいたい。何か手助けできるかもしれない。
また、「東方」「野球」「淫夢」「世界史」あたりのネタなら確実に打てば響くので、そのあたりでもコンタクトを取っていただいて構わない。
同じ天を戴く戦友にはなれずとも、ナポレオンとクラウゼヴィッツのようにはなれるかもしれない(自分をだいぶ高く見積もったぞ)。
それでも、最後は自分で進む他ないのだろう。
ショーペンハウエル曰く、「孤独は優れた精神の持ち主の運命である」。
どうか激烈な戦闘を生き残り、己にのみ認められたそれぞれの未踏峰へ到達せんことを願う。