くたばれ24時間テレビ
24時間感動ポルノ
私は障害者です。
分類としては軽度の身体障害。肢体不自由(体幹)になりますね。
その上で、今日だからこそ言えるこの一撃。
くたばれ、24時間テレビ!
感動ポルノはさぞ気持ち良いのだろう
このエントリを書いている時点で放送中(あ、ちょうど終わった)のEテレの番組バリバラで、「笑いは地球を救う」「検証! 『障害者x感動』の方程式」を掲げ、日本テレビの24時間テレビに真っ向から挑戦状を叩きつけました。
その中で紹介された、故ステラ・ヤング氏の講演内容が上の記事。
障害者は「感動ポルノ」として消費される
上記引用の見出しに「おっ?」と思ったなら、ぜひ読んでいただければと思います。
それにしても、バリバラはすごかった。字幕も「障がい者」や「障碍者」ではなく、一貫して「障害者」を使ってくれました。小さいけれど、それだけでもバカにされてないなと感じます。
そもそも24時間テレビは何のためにやっているのか?
24時間テレビで足にマヒがある子を富士山登山にチャレンジさせてた。企画自体の良し悪しは置いといて、今日のように台風&悪天候なら「中止」が登山の基本です。こういう放送をするから無謀な登山が増える。その子は山頂に着いた感想を聞かれて「寒い」と答えてたよ。 #24時間テレビ #富士山
— steel@財閥系水道局員 (@steel2828) 2016年8月28日
しかも、動かないこの子を叩いていたという噂まで飛んでいますね。
不確定情報なので、それについての言及はおいておくとして……。
24時間テレビって、何のためにやっているんですか?
「愛は地球を救う」
そうかもしれません。愛があるから、私とてこの現代社会で生きていけている。人が他人の価値と損得だけで動くのならば、優生保護の観点から障害者の大半は抹殺されてしまうでしょう。私を含めて――。
でも、もうわかってしまったじゃないですか。
もう30回以上やっているでしょう?
テレビ局主導の愛の押し付けで、地球の何が救われたんですか?
救われたのはスポンサー料が入る日本テレビなのではありませんか?
営利なくして経営は成り立たんでしょうからそれを否定はしませんが、いっそ制作費の大半をしかるべき機関に寄付して、その使い道を監視する24時間などがあっても良いのではないですか?
それとも、そういうことをできないような後ろ暗い理由でもあるのですか?
障害者は正義の具ではない
こういう話もありますね。
つまり、障害者は「数字が取れる良い素材」というわけです。
さぞや良いダシが出ることでしょう。放映の裏ではどれほど汚い言葉が使われているか……。
全く個人的な経験で恐縮なのですが、私は東京に住んでいたころ「足払い男」に遭遇したことがあります。歩行するための杖、これは障害者や高齢者が使っているのを見ますよね?
私も使っているんですが、これを丹念に足払いしていくガラの悪い輩です。それで嫌がる姿を見て笑っているのです。私は平坦なところなら歩くまではいけるので、怒って捕まえようと思ったのですが、届きませんでしたね。
でもね?
もしかしたら、彼こそ生のままの存在だったのかもしれないと感じることがあります。
感情的に感想を述べるなら、「そりゃあクズはクズだ」ってことになるんですが、あれこそ本音が行動になって漏れ出たんじゃないかなって。
変に「えらいね! がんばったね!」されるよりは、怒りを抱ける分だけマシなのではないかと。
視聴者の涙で飯を食う
ゲーム「ドラゴンクエスト4」に、涙が宝石になるために悪人から狙われているキャラクターがいました。
あるいは、24時間テレビ製作サイドから見た障害者というのは、それと同じなのかもしれません。
人の涙で食う飯はうまいか?
うまかろうなあ?
数字が取れて最高の仕事をしたんだもんなあ?
そう悪態をついてもやりたくなる。
当然のことですが、障害者にも善人がいるし、悪人だっている。人間の鑑がいれば、人間の屑だって存在する。私は悪人方面に傾いていて、どうにか狡猾に生きていきたいと願っている。とてもとても、この弱った背骨で社会の激流をまともに泳ぎきれる気がしない。
障害者は無垢でなければいけませんか?
障害者は純真でなければいけませんか?
障害者は前向きでなければいけませんか?
障害者は健常者より不幸だと認めてはいけませんか?
ヘレン・ケラーは確かに偉大でした。障害は不便であっても、不幸ではないかもしれない。
だが、私たちすべてはヘレン・ケラーにはなれない。
もちろん他人に不幸を見せつけて「だから優しくしてね」なんて言うのは嫌いだけれど、「あの偉人はああ言ってるんだから」と言われるのもたまらんのです。
これがいかに人の器の小ささを感じさせるか、重々承知しております。それでも、言わせていただきたい。
ただひとつだけ叫ばせてくれ
身体障害者も――。
知的障害者も――。
精神障害者も――。
その他の名前すらつけられぬ障害も――。
みんなそれぞれの病があり、それぞれの人生があり、それぞれの苦しみがある。
私たちに、自分の思う理想的な生き方を強制するな!