吉田沙保里選手に勝利したヘレン・マルーリス選手の美談とデマ騒ぎ
ヘレン・マルーリス選手にまつわる良い話
「吉田沙保里」というあまりにも巨大な壁、女子レスリングの第一人者の重さを感じるエピソードです。2004年アテネ五輪から正式種目となったこの競技を、競技者の祭典にふさわしいレベルに引き上げたのは、まさしく吉田選手の功績でしょう。
何しろあの「霊長類最強」アレクサンドル・カレリンさえ認めた存在なのですから……。
しかし、そのカレリンと同じく、4連覇を目指した大会でアメリカ選手に敗れて銀メダル。運命の数奇さに思いを寄せるとともに、世界中の競技者にとっての目標が吉田選手だったのだろうなと感じずにはいられません。
実際、マルーリス選手にとっても目標であり、最大のライバルであるとともに、自分がレスリングを続けられた理由でもあったわけで。
引用:http://news.livedoor.com/article/detail/11907289/
涙!
ただ歓喜さえも涙がそこにある空間。
人の歩んできた歴史が交差した瞬間……傑出したアスリートの人生が、試合を通して交わったそのひとときの結実が、この1枚にあふれています。
「いいや、その話はデマだ」という主張
ところが、マルーリス選手がレスリングを続けることのできた理由に吉田選手を挙げたのはデマだ、という言説がSNS上で流れました。
理由はそうした情報がネット上に見当たらないとのことでしたが……。
なんと「デマという情報がデマ」という裏の裏をかいた的な展開に。
NHKと日テレ、両地上波の放送でマルーリス選手のそうしたエピソードは放映されていたということでした。先にデマ認定したブログは記事どころかブログ本体も消してしまっています。
そもそもデマって何だろう?
Wikipediaの「デマゴーグ」の記事が良いとは思ったんですが、わかりやすい知恵袋の方を紹介します。
デマゴーグという扇動家がするのがデマゴギー、省略してデマになりますね。
こちらもご参照ください。
ポリュビオスが唱えた政体循環論で言うところの、民主制から衆愚制に陥る過程で現れるのがデマゴーグであり、そうして腐敗していく行動がデマゴギー、デマということになるでしょう。
本来的な意味でホットなNHKのデマ
渡る世間は炎上ばかり。
誤った情報で煽り立てたという意味では、こちらの案件の方が大きいかもしれません。
彼女の例の場合、所得に見合った消費になっていない貧困なのがつらいところです。舞台を見に行けるし、DVDだって買える。夢を追いかけることのできる活力がある。それさえできない格差にあえぐ子たちも多い中で、まだ恵まれています。
「もしかしたら、本当は貧困ですらないんじゃないか?」
昨今のテレビ報道に対する疑念が、そうした気持ちに火を付け、炎上を誘っているようです。
しかし、本記事のマルーリス選手のデマ疑惑を引き起こしたのがインターネットで、鎮火させたのがテレビだったことを考えると、皮肉なものです。
「真の貧乏人」探求がエスカレートすると,児童養護施設がケーキやお寿司を注文し,これが配達される模様を見るだけでクレームを出します。さらに上級者になると,子ども達が笑っているだけでクレームを出します(いずれも経験済み)。あるべき貧困者像を押し付けられる義理はないのですが。
— adiabatic (@adiabaticQC) 2016年8月19日
行くところまで行くと、このツイートのように「貧乏人は貧乏人らしく振る舞え」に繋がるので……。今回はアプローチの仕方がまずかった、と言うべきなのでしょうかね。
個人個人の判断力と信頼度が試される時代
インターネットの普及によって、私たちは「声」を手に入れました。発信の権利は一部の事業者や知識人にとどまることなく、市井の人々にも広く開放されたのです。
それだけに、巷は情報であふれています。
私事ながら、国内のニュースでも網羅しきれないのに、海外のニュースまで含めると……全部把握するのは頭を電子化でもしない限り不可能だろう、と感じる昨今。
良質な情報であるかどうかを判断した場合、個人に対する「信頼」がより大きな要因になる時代がやってきたということでしょう。
私の場合は現時点(2016年8月現在)で顔出しメディアでもないので、そのあたりではハッキリ劣ってしまいますね。
それでも、せめて可能な限りで誠実に、自分なりの「声」を出していきたいものです。その声に耳を傾けてくれる人の気持ちを裏切らぬように……。